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泣いたり笑ったり忙しい日々です。

若かった頃のように、未熟さで感情を持て余すことも減ってきました。
今は日々、夫と向き合い、自分を振り返り、未来に向けて努力する日々です。

よくもわるくも、感じやすく敏感で傷つきやすい自分の性格を呪う日もありましたが、
今はその部分が、ささやかな幸福もていねいにキャッチできる自分の美点だと、
愛せるようになってきました。

20代前半から中盤は本当に地獄にいるみたいだった。
うまく、社会や人と向き合えなかった。
今も大してうまくはないけど、気持ちの落としどころを見つけたり、
なにが自分にとって大切なことなのかを見抜く心の目は熟練してきたように思います。

これからまら家族がさらにふえて、今この時点で感じてる思いや考えもまた、
まだまだ甘く浅はかだったと振り返ることもあるかもしれないけれど、
充実した人生を生きていると強く自信をもって思えます。

これからも後悔のないよう、家族には常に愛情表現と側にいてくれることの感謝を忘れずに、
友人とは良い関係を築き、
会社では貢献できる良い仕事ができるよう、
努力を続けたいと思います。

自戒を込めて、久々に書き込み。
訪れる時間が本当に少なくなりました。
自分に向き合う必要がないから。

今まで自分の暗い内面に向かっていた時間は全て、これから一緒に生きてく人にそそがれてゆく。

だからPCに向かう時間が激減したのです。

今までのたくさんの苦しいことが、その人に出会う為の道筋をつくってくれました。
これは本当に。

苦しいことがなければ、ずっと同じところにとどまっていたはず。
物理的にも精神的にも。

苦しかったから、物理的にも精勤的にも変化を求め、成長してきた。
その先にあの人がいたのです。

神様、ありがとう。
でも、もっともっと幸せになりますよ、ワタシ。
幸せに上限などないのです!

信じれば必ず引き寄せることができるのです。

久々のブログ更新が、恥ずかしいおノロケになってしまい失礼!
職場に関しては、相性が悪かったと結論だしています。
これは少し課題になっていて、あの業界と根本的に相性が悪いのか、あの場の人間関係がたまたま相性悪かったのか。。

未だにわかりません。

でも好きなんです。デザインをはじめとする創作。
やっぱりとても。
未だに無意識で情報収集の研磨は重ねているし、そっち系の情報を得たり、刺激を受けるとすごく興奮します。

ただ、潜在的に承認欲求が異常に強い人の多い場であることを考えると、根本的に相性が悪いように思います。
承認欲求が強いというのは、ある程度社会的に他人の上位に立ちたいという心理を併せもってることも多い。
馬鹿にされたくない、傷つきたくないという繊細な部分があるからこそだろうし、繊細さと欲求を通そうとする攻撃性のアンビバレントな部分が、一般の人にはない創造性の原動力になってるのだろうとは思いますが。

しかし所謂”かっこいい人”や、自身の仕事および作品が社会的に認められている人同士がお互いリスペクトしあう、排他的且つ自画自賛的な内輪ノリの多いカルチャー誌やイベントみてると何となく辟易します。
「社会的にこうありたい(例えばいつまでも謙虚でいたいとか)」という理想はすごく崇高なのに、感情が追いつてないふるまいの人も多し。

地味で素朴で土地に馴染んだ無欲な職人肌の人みたいなんが一番好きです。
あと、控えめだけど、ただただつくるのが好きな人みたいな。
まあ、そういうのは少数派だったり経済的弱者になりやすいのも事実です。

私は私の関わりやすい立ち位置でデザインに関わりたい。
そのためにはひたすら勉強しないとです。

本当にいろんなことが気にならなくなってきて、どうあるべきかの結論は至ってシンプルです。
まあ、ものぐさだから、理想へ向かう道程にやたら時間をかけてしまいがちですが。

最終的にまさか法律の専門家になるとは思いませんでした。
# by mas8 | 2013-12-11 01:24 | 雑記
どんなに日々幸せでも過去の嫌な記憶がふと甦って自分を苦しめる日もあります。

とくに低気圧の雨の日なんかは。


大学時代のオワリと、最初の職場、私の人生の二大負の遺産。
少しずつ思い出す周期が長くなっています。

時間が癒しになるというのは頭ではわかってたけど、当時はとにかく焦って焦って大変だったなあ。
実際に時間が経って、やっと言葉の意味を噛み締める事が少しずつできています。

大学時代の辛い記憶は、かなり前に当時からの友人に「若さが悪い」みたく片付けられて、なんとなく納得して笑えるところまできました。

あまりに辛くて誰かに「あなたは悪くない!」「あなたの苦しみは当然!」ってわかってほしくて、
ブログにいろいろ書いてヒンシュク買ったこともありました。黒歴史です。

当時は嫌なことをされた人と関係を修復することが、嫌なことを浄化する最も良い手段のように思い込んでいました。
そして、嫌な相手との関係性はいつか改善できるチャンスを待つため、今後も維持すべき!というおかしな考えへ到達していました。
そこが元で他人への過剰な執着を生んでました。

それが愚かなことだとどこかで気づいていて、でも目隠しして、ひたすらジタバタして、でも思い通りにいかなくて、苦しくて、の無限ループでした。

あそこの人間関係を解決すれば楽になるのに!ってもっとも難しい選択肢にひたすら突進。。
徹底的に破壊された関係では、取り返しがつかないのに。

私も破壊したし、相手も破壊の限りをつくしたあの関係では。

愚かでした。
自分の正義感にも執着してました。
陰でこっそり、水面下で人をおとしめる人間が台頭するのがどうしても許せなかった。
改心させたくて、おかしくなりそうだった。友人を改心させるのも友情だなんて傲慢なことも思ってた。
第三者的な友人に善悪のジャッジを求めて、必死にもなった。
関係がうまくいかなくなるのって、どっちもそれぞれ悪かったり、それ以前の根本的な相性もあるからどっちかが正しくてどっちかが悪いなんて、二元的に判断を下すことが非常に難しいのに関わらず。

友人依存にもなっていた。誰も助けてくれないし、友人といってもいわゆる所詮他人である存在には、一番理解してもらいたいところの核は理解してもらえないことも多いのに。

この歳になってようやく、本当にどうにもならない人や物事があるんだというのを受け入れつつあります。

成長できてるような気がするし、よいことですね。
こうして文字にするととても整理されます。
# by mas8 | 2013-12-11 01:04 | 雑記
今、人生で一番しあわせな気がする。
生きててよかった。

感謝で心がいっぱいです。